飼い猫は家族?
人気ブログくるねこ大和でおなじみの猫の先生・鈴木真氏が『くるねこ丼』という書籍の中のインタビューで「飼い猫は家族じゃない」とおっしゃっていました。
飼い猫は家族じゃない?ペットって何?家族って何?と疑問がふつふつと湧き出てきたので、突然ですが本日の更新は「飼い猫はペットか、家族か」というお話です。
インタビューの中には「家族というのは無償の愛を与えられる存在だけど、猫は違う」という鈴木先生の一言があります。
この一言を私なりに掘り下げていきますと、まず第一点。
私のような猫飼いが彼らに注ぐ愛は無償ではないのでしょうか?
無償の愛というのは何らかの利益・対価無しに注ぐ愛情のことですが、なるほど確かに、私は猫から対価をもらっているのです。
それは、猫たちが可愛い姿を見せてくれること。
そして、頼まれたわけでもないのに私のそばにいてくれることです。
私は猫を愛し、彼らから対価を受け取っています。
ですので、これは無償の愛情ではないと考えられます。
更に第二点。
家族というのは、無償の愛を与えられる存在なのでしょうか。
初めに家族という概念から丁寧におさらいしますと、夫婦とその血縁関係者を中心とした小規模な社会集団ということになります。
では我々人間は、育ててくれた人なら、血がつながっている人なら、必ずしも無償の愛を与えることができるのでしょうか。
その答えは多分、ノーです。
私が今までの人生で経験したこと、見聞きしたことから総合的に判断して、家族間の無償の愛は絶対的なものではないと思います。
恐らく、インタビュー記事で鈴木先生がおっしゃる「家族」とは、単に血のつながりがある集団を指すのではなく、深い絆と愛情を持った親子や夫婦のことなのでしょうね。
ここまで書いたことをまとめると、血縁関係もなく、人が無償の愛情を注ぐことができない猫たちの存在は、確かに家族ではないのかもしれません。
これから先は私の考える「家族」と私にとっての「飼い猫という存在」についてお話します。
私にとって家族といえる存在は、戸籍上は主人のみです。
ただ、私が主人を家族と認識しているのは何も世帯主だからではなく、私たちが互いに信頼し合い、共に生きていく決心を確かめ合った存在であるためです。
私は家族である彼を「主人」とも「パートナー」とも呼び、時には独身時代からなじみのある愛称で呼びます。
そこには尊敬や信頼、愛情といった私の彼に対する気持ちがそれぞれ込められています。
主人は私にとって事実上の家族(夫婦または血縁者)であるだけでなく、愛情や信頼の拠り所を指す意味での「家族(家庭)」でもあるわけです。
個人的な話になりますが、私は今よりもっと若い時、心から安心できる「家族」を持つことができませんでした。
ただ、血縁者が大切でなかったわけではなく、個々人同士での繋がりにおいて深い愛情と強い信頼を感じていました。
血の繋がりがあろうと無かろうと、個々人の間に愛情や信頼があるか否か。
私にとってはこれだけが大切で、事実としての家族なんてものはどうだって良かったのです。
この考えは今もあまり変わっていません。
当初の問題、「飼い猫は家族か」に戻ります。
私個人の答えとしては、「そうでないとも言えるし、そうであるとも考えられる」です。
人と猫の間には血縁関係は無くとも、愛情や信頼関係が存在します。
鈴木先生も、ご自身で飼われている猫について「種を超えた信頼関係で結ばれている同居人」と言及しておられます。
私は「飼い猫は家族とは一線を画したペットだ」という考えを否定しないし、家族そのものだと考える人も否定しません。
ただ一つ分かっていることは、私にとってエレンとミカサは「家族」であって家族でない存在だということです。
個々の間にある信頼関係で結ばれ、住む家を同じくして、心からほっとできる時間を共有できる「家族」なのです。
今日も彼らに沢山の愛情を注ぎ、大きな対価をもらってしまいました。
「君たちは何でそんなに可愛いんだい?」
2匹を見ると、いつもこの質問をしてしまうのです(笑)